2006/2/20(mon)  幾万も宿る月影

某所の有り様、あたかもオルフェウスを八つ裂きにせんと 待ち構える妖女たちの跋扈するが如し。ただ目を覆うばかり。 このような状況に取り巻かれていては、 空気を振動させておまんま頂く楽士稼業も、 必ずしも文字どおり「楽」ではなさそうだ。

月影は、どんなに小さな草の露にも、穢れた溝にも宿る。 音楽と人とのあり方もこれに同じ。 作品と向き合う鑑賞者は、己が身の丈に合ったやり方で、 ありのままに、その世界と美を愛すれば良いのである。
月の輝きの訳は、ただ月だけが知る。
大きな湖であれ、水たまりであれ、映り込んだ月は、 もはや本来の姿から懸け離れているのだから。

しかしまぁ。こうして見ると、私は実に幸運だ。 電子の海で直接お世話になっている皆様方の、 なんと清々しく心正しいことか。 しみじみ思いながら、今日も『白虎野』を聴く。 (20060220)

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