1999/07/12/(Mon)  哲学はコンビニ生活に宿る

匹夫閑ありて罪有り。物を考える時間があるということは、凡俗の類にとっては不吉。ついつい考えずともよい事を考え、思い出さずともよい事が溢れ出る。何でもいいから一曲聴こう、と思ったが[浜辺のサティ]しかない。やめた。
古代ギリシアの昔、哲人は肉を絶ちレタスを食してムズカシイ事を考えていた。運動施設で肉体を鍛え、風呂に入って時には何かを発見したりもした。プラトンは「正しい生き方とはいかなるものか…」を問い、自ら答えを見いだした。だが、待て!奴らのコトバを鵜呑みにしてはならない。体育場(ギムナジウム)の語源となったギムノスに於いて、きゃつらは何をしていたであろうか?ギムノスとは裸体の意、一糸纏わぬ姿でスポーツする成人男性と年若い少年達の出会いの場であった、と、ここに記すに止めよう。
遺跡調査等で既に、当時の生活水準は現代の台所と大差無い、大変コンビニエンスなものであったことが解っている。労働から解放された一部の人々は、スポーツや芸術など文化の振興に余力を注いだ。古代では奴隷労働者が、現代では機械がそれを支えている。所詮哲学とは、ヒマの産物に過ぎないのである。まったくもって有り難みの薄い話ではあるが……。(19990712)

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